Real Face

ギリギリでいつも生きていたいから

恋愛

気付いたらブログの債務がたまっていた。
頑張ってサクサク書きたいけど、難しいテーマなので困る。

恋愛は難しい。
それは、相反する理性と感情という二つのもののせいだと思う(性だけに)。

生物の目的が子孫繁栄だとするなら、恋愛をしてセックスをして子供をつくることはまさに人生の全うである。
じゃあ「人間はセックスのために生きているのか?」と言われると、馬鹿な貴方は「そうではない。人間は理性的な生き物であり、健全な付き合いを…」と答えるかもしれない。

人間は生き物の中でも高度に発達した知能を持っていて、それは生物の根源である子孫の繁栄を脅かす程なのか、はたまた、多様化しすぎた個である我らがそれぞれに種の保存を行おうとする結果なのか、それはわからないが、性愛のないことは、少なくとも生物としては間違っている。

ともかく、人間の知性は、社会において結婚というsolutionを見出した。
これはとても合理的のように思われ、現代社会において広く推奨される恋愛の形だ。
結婚は、紛れもなく大半の人間における幸せの形であるから、大半の人間はそれを目指すことが自然であるし、人間は馬鹿だから、大体、結婚すれば満足に死んでいく。
結婚に至らなかった恋愛がどうであれ、擬似的、あるいは部分的にでも恋愛には(大半の)人生のゴールと同じような側面があるだろう。

だから、恋愛はすべきであるし、楽しいものだし、幸せなものである。
もっと単純に、セックスは気持ちの良いものであるように生物は創られているから、恋愛すべきである。

終わり。

 


誰しもにとって、それで終わりであってほしい。そうすればもっと社会は簡単だっただろう。
しかし、多様化した社会は性を消費する方向にも知性と合理化が働いた。
その結果、単純な形で恋愛や結婚を成そうとする人は減った。
あるいは、恋愛以外にも人間を満たすもの(仕事、娯楽、芸術、なんでもよい)もたくさん増えた。
当然、恋愛観も多様化し、
・結婚も恋愛もしたい
・結婚はしたいけど恋愛はしたくない
・結婚はしたくないけど恋愛はしたい
・結婚も恋愛もしたくない
みたいな分かれ方があるし、それぞれに個々人の条件も付いていることだろう。
僕は例えば三番目、あるいは四番目だ。

その理由を端的に説明すれば、やりたいことがたくさんあるから時間が大切で、性欲があるのはその次だから恋愛はしたくない(あるいは条件付きでしたい)。
また結婚は大変だから、まだまだ自由でない自分を想像できないし、自分は責任感がないので子供も欲しくない(子育てはしても良いかも)。

僕の話を長々とするつもりはないけど、誰だって様々な恋愛観があるだろう。僕もそう。

だから、常に恋愛していないと堪らない人とか、セックスが最も大切な人とか、若さを使ってチヤホヤされるべきだと思う人とか、互いの時間を思い合って恋愛したい人とか、とにかく結婚したい人とか、たくさんの人がいるんだと思う。

こうなってくると、「価値観の違い」「多様化した社会」という一言で片づけられちゃうかもしれないけど、それに加えて、恋愛が人生の大半を占めるということが、大事なことなんじゃないかと思う。

人生の大きなゴールであり、三代欲求の一つでもある恋愛は、もっと尊重されながら行われるべきだと思う。
それが本当に人間らしい、理性的な恋愛ではないだろうか?

終わり。


誰しもがそうであってくれれば本当に終わりでいいんだが、子孫繁栄に価値を見いだせない人間が一定数増えてきており、そいつらこそが生物としての本当に終わりである。人間の進化の向かう先は無生物なのでは?