Real Face

ギリギリでいつも生きていたいから

服装

また難しいテーマ。

 

服装は、とても文化的な概念だ。
服装にはいくつかの側面があって、身分を現したり、機能的であったり、趣味にもあり、恋愛の道具でもあり、個性の顕れでもある。

スーツを着ていればおおよその社会性が担保されるし、コートが無ければ冬場は寒い。
デートには好みの格好をしていきたいし、奇抜な服装はアートでありブランディングでありアクションである。

 

僕はあまりオシャレに関心がない。(何にでも関心ないじゃんとか言わないで)

 

結局のところ、オシャレは自分に対して作用させる行為である。

オシャレをする人は少なからず自分への評価を考えていて、それは他人からの評価であることが多いけど、自分から自分への評価ということもある。

 

外見がみすぼらしければ、みずぼらしいという評価を受けざるを得ないだろう。
外見が魅力的であれば、魅力的であるとされるだろう。

服装が外見のすべてではないことはわかるが、外見以外のために服装を変える人はあまりいないと思う。(内面も変わる、と言う人もいるが、それは内面を変えるために外見を変えているのでは無いか、、。)

結局のところ、外見を変えるために人間は着飾り、自分らしくあろうとしたり、他人に拒絶されない自分でいようとしたり、他人から愛される自分でいようとしたり、するのだと思う。

 

恋愛が命であれば異性(恋愛対象の意)に好かれるような服装をすれば良いし、サラリーマンであれば営業先に好感を持たれるネクタイをすることも良いだろう。それは他人からの評価のための服装だ。

あるいは、ウォーキング中にはそれ用のウェアを着てるだろうし、靴も変える。機能のために服装を選ぶことも多々あるだろう。

でもそんな中でネクタイの裏地に刺繍を入れてみたり、自分の好きなブランド物を付けてみたり、気分の上がるスニーカーを履いてみたり、少しオシャレにすることは自分のためのオシャレであって、自分らしく生きるための一つの方法であると思う。

そういうものを繰り返して、例えば自分を着飾ることを楽しく思えばたくさんの洋服を買うだろうし、特にこだわりが無ければ、決まった服ばかりを着るということもあるだろう。

 

Facebook CEOのマークザッカーバーグは毎日同じシャツを着ていた。

それは、「服選びにかける時間が無駄だ」と言う。

オバマ前大統領は毎日同じスーツだ。

それは、「服選びに使うエネルギーが勿体ない」「もっとエネルギーを使うべき選択がある」と言う。

それは素晴らしいことだと思う。

彼らは、着飾る必要のないところで生きている。

 

服装を選ぶことによって外見と他人からの評価を決める、あるいは自分をアゲる、それが服装の役割だと思うし、それが人間の文化的な生活で、一般的な考えだと思う。

可愛い服があれば着たいと思うし、好きな人に見てほしいと思うのは自分や他人からの自分への評価を求めているに違いないだろう。

あるいは、自分に似合った無難な服装を買うことも、他人からの自分の評価を下げないことや自分らしさを保つことであると思う。

そこに、逆方向の服装の役割があると思っていて、どんどん新しい道を切り開いていくための服装選びと、どんどん自分の道を突き進むための服装選び(もはや選ばない)があると思う。

一般的な人間は、この二つを行ったり来たりしながら、無難に過ごしていくと思うけれど、中にはすぐに答えを見つけて徹底できる人がいる。

 

僕はこれからどういう進路を辿るかわからないけど、例え研究室に引きこもって数学ばかりするようになったとしても、もう寝癖を直さずにはいられないと思うし、外に出るならちゃんと身支度をしないとなんだかやる気が出ないと思う。

あまり派手な服装をするつもりもないが、同じ服ばかり着るのもつまらないと思う。そこまで評価を求めていないから特に買ったりしないけど、どうせならカッコいい服が着たい。

でも、この文章は、自分らしくあるために全裸で書いた。